幼少期〜小学生編

 

 

私のエッセイを読んでみたい、と言ってくれる友人が居たので気が向いたらここに更新していこうと思っています。

 

私の中の一番古い記憶は、公園の芝生の上で父と並んでポップコーンを食べている情景です。

当時2歳だったかな、幼稚園に入る前ですね。

以前ブログにも書いたけれど、父はこの時会社経営が上手くいかず、家に居ることが多かったので私を外に連れ出すのは父の役目、だったんだと思います。

父が片手に持つポップコーンの容器から、ひとつずつ口に運んで、近所の小学生と思われる男の子たちがサッカーをしているのを見ていました。

 

幼稚園に入ってから、たんぽぽ組で幼馴染に出会いました。クラスで一番最初に名前を覚えて帰ってきたのが幼馴染の名前でした。

幼馴染の家に遊びに行くと、シルバニアファミリーのおうちがありました。幼馴染はうさぎだったかな、それを握って遊んでいて、私はポケモンの小さなフィギュアを握って、シルバニアファミリーをしていた記憶があります。

幼馴染とは年少クラスが同じだっただけで、それ以降は一切同じ教室で肩を並べることはありませんでした。小中高、と交わることの無い学園生活でしたがその間も、ちょこちょこと連絡は取り続けていて、互いに高校卒業後上京してからは、また出かけるようになりました。それが今では、隣同士で部屋を借りて暮らしてるんだから人生は伏線だらけだなぁと思います。

 

話は幼少期に戻り、幼稚園生だった私が既に女としての性別的違和感を感じていた頃の話をしたいと思います。

スカートを履くのが凄く苦手でした。折り紙はピンクを避けて、青と水色。おままごとも、絶対にお父さんかお兄ちゃん役しかやらなかった。幼少の思い出の定番、「大きくなったら結婚しようね」という男の子からのプロポーズを「絶対に嫌。結婚なんか一生しない」と言い放ち、相手を大泣きさせた覚えがあります。

何故そんな頑なにピンクやおままごとの役にこだわったのか。結婚なんか絶対しない、と言い放ったのか。

今だから分かる話だけど、私は別に男の子になりたかった訳じゃなくて、女の子でいたく無かっただけだったんだと思う。

小さい頃は上履きにしろ、七夕の短冊にしろ、何かとピンクとブルーで男女を分ける事が多かったからピンクを嫌ってた。女役をどうしてもやりたくなかったから、消去法で男役をままごとでは選んでた。結婚すると、当時は結婚=結婚式だったから自分がウエディングドレスを着なくてはならないと思ったから、結婚なんかしたくなかった。

 

大人になった今では、色で区別される事も無くなったし、好きな服も自由に着れるようになった。結婚は未だにしたいとは思わないけど、結婚式をしない選択もあるって事を知る事が出来た。昔ほど今は、ピンクに対する抵抗はない。

 

小学校に上がると、私の人生で最初の難関とも言える先生と出会う事になる。多分、この人との出会いが、私の人格をあまり良くない負の方向へ導いたきっかけなのだと、今になって痛感する。それぐらい、当時の私はその先生に支配されていた。私だけじゃなくて、クラスの全員がその先生の支配下にあった。

表向きはとても明るい良い先生で、虐めや仲間外れ、小さな嘘も見逃さないような保護者から信頼を寄せられるような先生だった。

でも、怒ると本当に怖い。人が怒られているのを傍で聞いているだけで膝がガクガクと震えて止まらない位に怖い。当時に今の自分が戻ったとしても、恐怖で歯がガチガチと鳴ってしまうと思う、というか思い出すだけで鳥肌が立つ。

皆、先生を怒らせないように必死だった。当時小学4年生だった私達は、何がいい事で悪い事なのかを「先生を怒らせるか否か」で判断していたと思う。これは先生がきっと怒るから言ってはいけない。これは先生がきっと怒るからやってはいけない。そうやって先生の地雷を踏まないように、クラス全員が教室で過ごしていた。

 

ある日の道徳の授業で、ランドセルの絵が描かれた塗り絵が配られた。先生は「自分の理想のランドセルを描いてね」と言いながら15分程、教室を歩いて回った。

 

私は、ランドセルを黒く塗った。

当時の私のランドセルはローズピンクだった。今は亡き祖父に買ってもらったモノだったので、色自体に多少不満はあったものの、女の子の私が黒いランドセルを強請るのは如何なものかと、幼ながらに考えたのだろう。

ならば、せめて理想くらいは、と塗り絵のランドセルを黒く塗って、ご丁寧にボタンの位置はシルバーで塗った。

日光の反射でピカピカ光る黒いランドセル。

私はずっとかっこいいな、良いな、と思っていて、男の子が乱雑に放り投げるランドセルが凄く羨ましかったのだ。

満足気にその塗り絵を眺めていた私だったけど、その塗り絵は後方から歩いてきた先生に取り上げられ「ちょっと借りていい?」と教卓まで持って行かれてしまった。

この時点で私は(もしかして、先生の癇に障るような事をしたのだろうか)という不安の念に駆られるのだが、私の悪い予感は的中する。

 

「〇〇(私)さん、立って。どうして黒で塗ったのか教えてください」

「黒いランドセルに憧れていたからです」

「じゃあ、〇〇さんは女の子が黒いランドセルを使ってもいいと思ってる?」

「選択出来るなら、いいと思います」

「質問を変えるね。サッカーは男と女、どっちがやるスポーツ?」

「どっちがやってもいいと思います」

 

素直に、なるべく率直に、先生の目を見て答えた。この後何を言われるのかが怖くて、膝が震えていたのも、全部覚えている。

 

「〇〇さん、本当にそう思ってるの?」

「…え?」

「ランドセルの色も、サッカーをやるのも、どちらでもいいと、本気で心の底から思ってるの?」

「お、思ってます」

「〇〇さんみたいな人の事、偽善者って言うの」

 

私の理想が、偽善という言葉で片付けられた瞬間だった。この後、私の塗ったランドセルをダシにして、先生の演説が始まった。男女差別の議題を述べた先生の話は、偽善ではなく本当の意味で互いに歩み寄ろう、という内容の話だったと思うが、私の黒いランドセルは偽善として捉えられてしまった。良いように使われた。

 

悔しくて悔しくて、家に帰ってから泣いた。

今までは怒られるのが怖くて学校に行くのが嫌だったけれど、怒られる必要の無い理由で怒られた事が、1番トラウマだった。

素直に欲しかった、憧れた黒いランドセルを描いただけだったのに。

23年間生きてきて、この時の先生の台詞、表情、教室の空気、自分が唾を飲み込む音、未だに忘れる事が出来ない。

 

先生はああ言ってたけど、私の気持ちには一体誰が歩み寄ってくれるんだろう、とも思った。

 

 

幼少期〜小学生編 [完]