桃ちゃんは流れ星

 

二極化する人物同士の喩えで、月と太陽なんて月並みな表現があるけれど、それで言うところのあの子は太陽の様な存在で、私は月かなぁ、とぼんやり考えたことがある。

改めて月と太陽の関係性を考えると私が彼女に光らせて貰ってる様に感じるが、それもまた違う気がする。彼女は私に対して光れと強要しないし、押し付けることもしない。

どちらかと言うと彼女は暑苦しい太陽では無く、流星、流れ星だ。

 

大気圏で人間同士の摩擦により自ら光を放ち、輝く。一瞬で燃えて消えるように見える危うさも彼女の裏側を表している。彼女の存在は周囲に希望を与えたり支えになっているからだ。

人々の勝手な期待や希望、所謂「願い」を投げ付けられて、それに応えようと強く光る部分も含めて、やはり彼女は流れ星だ。 

じゃあ一体、流れ星自身の願いは誰が叶えてくれるのだろう。

 

私の月、という表現は月並みに因んでいる。

平凡、ありふれた、そんな存在だ。夜道を歩く人々の足元を照らしているわけでも無く、その存在すら気付かれることが稀な新月だ。月に一度しか見られない部分も、出不精な私にしっくりくる表現かもしれない。

今夜は満月だね、と言い合う会話はあるが態々今夜は新月だね、というやりとりは中々生まれないと思う。取るに足らない存在。

 

互いの性質に全く関係のない、流星と新月は同じ屋根の下で隣同士住んでいる。

そんな生活が始まって約1年が経った。

干渉し合う事はほぼない、正直お互いが何処にいて何をしているのかも分からない。

私が彼女について分かることといえば、彼女の部屋の電気は、私の帰宅時八割の確率で点いていないという事と、アレルギーの把握くらい。

 

それでいいのだと思う。

偶に顔を合わせて、美味しいモノが食べられたら。

おやすみ、と一声掛け合える夜があれば。