大切だった人へ

 

 

悔しい事とか 悲しい事とか どうにもならない出来事が起きた時 メソメソ布団で泣いてた。

今はめっきりそういう涙は無くなった気がする。その代わりに 尊い という感情からボロ泣きする事が凄く増えた。某夢の国のパレード見て 涙出てきちゃったり 可愛い犬や猫の動画見て 涙腺崩壊したり アイドルのライブ映像見て 嗚咽が出るほど号泣したり 傍から見たら「なんで?!」って思われるようなことで泣いてしまう。自分でも正直訳が分からない。シンプルに歳取ったんだろうね。

 

今日、日付が変わる頃。

高校時代の支えであった友人の誕生日になるんだけど、ちょっとした気持ちのすれ違いで 疎遠になってしまったんだ。19歳の夏に。

毎年のように当たり前に誕生日を祝えると思っていたのに、そうじゃなかった。

向こうが私に対してどう思ってるかは分からないし、多分 どうも思ってないんだと思う。

その子の中に、もう私という存在は居ない。

 

正直、そのきっかけとなったすれ違いに関しても 私が悪かったのだという気持ちは あまりない。数年たった今も その時の自分の行動を振り返ったりする。 その瞬間の落ち度は私にあったとしても 積み重ねて来た関係込で考えると お互い様なのでは と思ってしまう。

素直にあの時、謝れば良かったのだけれど 当時の私はそれが出来なかったし 多分今も出来ない。

惜しい友人を失くしたと、そればかりは思っている。

 

友人と先程から書いてはいるけれど、友人だったのかは定かではない。私が初めて、キチンと付き合ったつもりでいる女性だから 簡単に言ってしまえば元恋人である。

だけど付き合っていた期間は実質2ヶ月程であったし、それ以降の関係は 理解者であり 唯一無二の存在だった。

だけど、そういう関係の相手がいる事は、その後私が付き合う女性達にとっては弊害であり 目を瞑ることの出来ない存在であった事は確かで なかなか理解をしてくれる彼女は居なかった。

そりゃそうだよね。いくら今は友人だなんて言ったところで 少しでも付き合っていた過去があればそれは元恋人なのだ。よく思う人は居ないって分かってる。それでも私にとっては 甲乙を付け難い大切な人だったんだ。付き合っていた彼女と、その人を天秤にかけた時、どっちを選ぶのかが 私には凄く難しい問題だった。

疎遠になってしまった今、それで悩む事は無くなったし、もう面と向かって話す事も無いんだろうけど。

 

私が1番後悔しているのは 「私のことを信用してくれていいよ」と言ってくれた彼女に対して自分も「それは私も同じ気持ちだ」と返したのにも関わらず 結果的に信用を失ってしまったことだ。

約束というものは、簡単にするものじゃないね。守れる保証のない約束は 幻想や理想でしか無いんだから。

 

その人から信用と共に、大事なモノを色々と失った。結局その時付き合っていた彼女とも別れたし(これは自分が悪い)当時から一緒に仲良くしていたもう1人との友人にも凄く迷惑をかけた。申し訳ない気持ちでいっぱい。未だにどの面下げてその三者の友人に会っていいのかと考える事も屡々ある。どちらも大切な理解者である(あった)事には代わりないのに どこで間違えてしまったんだろう。

 

きっと この先も謝れない。

在り来りな表現だが、当時に戻れたとしても私は同じ選択をしてしまうと思うし 仮にその場を上手くやり過ごしたとしても 近い将来 関係は拗れてしまっていたと思う。必然だったのかもしれない。

だけれど、その時まで私の理解者であったことに変わりはないし その事実だけは過去として確かに残っている。

 

謝れなくて本当にごめん。

大切にしたかったです。出来なかったけど

 

涙は出ません。