仕事がなく外にも出歩けないので、部屋の片づけが捗ります。
と、言っても私の場合の掃除、片付けは「今日はキッチンを掃除しよう」「今日は浴室を掃除しよう」「今日は本棚の整理をしよう」と、一日ずつずれていくので部屋のどこかしらはいつも汚い、という状態になってしまいます。悲しい。
今日はめったに開けない引き出しの整理をしました。なんか大事な書類を入れておく引き出しです。保証書とか、住民票のコピーとか難しい書類でパンパンになっていたので、一枚一枚整理しました。
私が馬鹿だな、って思うところは 重要書類の入った引き出しに、過去に友人や恋人から貰った手紙も一緒にぶち込んでいるところです。大事のベクトルがどう考えても違う。
まあ、そんな手紙たちがどっさり出てきまして。
今読み返せ、という神からのお達しなのだなと いそいそと手紙の束を取り出してしまったわけです。
一通り読み終わった感想としては
「手紙を貰った当時の自分どれだけ魅力的なんだよ」
です。
いや、びっくりしました。今は疎遠になってしまった友人や、今でも定期的に遊びに行ってくれる友人、当時お付き合いをしていた女の子、どの子が書いてくれた手紙にも「だいすき」って文字が書かれてるんですよね。
相手はもしかしたら「だいすき」なんてちょっとした挨拶ぐらいの気持ちで言ってるのかもしれないんだけど そもそもこうして言葉にして伝えてもらえてるの凄いなって。
特に誕生日の手紙とかは凄い、数少ない私のいいところぎゅっとして伝えてくれてる。
2018年、私が二十歳を迎えたときに貰った高校時代から付き合いのある友人の手紙に、2年越しに涙が出ました。手紙の内容が温かすぎて。
当時の私は本当に捻くれていて(それは今も多少健在)多分ストレートにそれらの言葉を受け取ることができなかったんだと思います。
恥ずかしいとはまた違う、烏滸がましいというかある意味自虐に近い謙遜も入ってたのかもしれないです。
手紙には「○○(私の名前)という人と向き合うことを諦めてしまいたくなったことが何度もあったけれど、それはできなかった。『諦めること』を、諦めた方が早いことに気付いた」と、書かれてました。
いや、私どんだけ扱いにくい人間だったの、、、(笑)
未だにこの手紙をくれた友人は、定期的に私の安否確認をする為に連絡をくれます。
心配と迷惑ばかりかけている、いつもありがとうなあ。
手紙、考えてみると私自身そんなに書いた記憶がないです。
書いても渡せなかったり、なんか恥ずかしくなって破ってしまったり。
文章を書くことは好きなのに、誰かに宛てた文になると急に書けなくなってしまうのはなんでなんだろう。
自粛期間中、暇だし誰かに手紙でも出してみようかな。
便箋のあまりも確か、引き出しの中に入っていたはず。
自分に手紙を書く、ってのも一つの手だな って思ったけど、このブログ自体私がいつか読み返すように書いているものだから媒体が変わるだけだな、と足踏み。
このブログに自分語りが多くなってしまうのはそのせいですかね。
でもなあ、自分の知ってる、分かっていることしか書けないもん。自然とそうなるよね。
近々、私が今更ハマりだしたHUNTER×HUNTERの記事でも書こうかな。
あれね、マジで面白いんですよ。アニメ放送してた当時は、毎週ぽけーっと見てたけど大人になってから見返すと本当に面白い。ただ、有名な『グリードアイランド編』『キメラアント編』以降の『会長選挙編』と『暗黒大陸編』は漫画1ページにおける文字数が多過ぎて ほんっとうに読めない。頭に入って来なくて(あれ私ってこんなに頭悪かったっけ…?)って自信無くなります。それぐらい冨樫先生は凄いですね。
まあ、お前に言われなくてもHUNTER×HUNTERが面白いことなんて知ってるよって人が大半だと思うんですけど。
記事いっぱいにHUNTER×HUNTERのことが語りつくせるくらいに知識を積んで出直してきます。
あれ、私なんの話してました?