読書感想文で思い出す父の話

 

 

懐かしい響きだなと思った。

書くのは実に5年振りになると思う。

会社の後輩が「読書感想文を書きませんか」と提案を持ちかけてきた翌日、つまり今日、渋谷の大きな書店で、2人で課題図書を選んだ。

 

私は夏休みの宿題で、読書感想文を書くのが好きな子どもだった。

今では宿題代行なんていう職種もあると聞くので、多くの子どもは読書感想文を書くのが嫌いなのだとは思う。私の周りにも、読書感想文が好きだ!という子は居なかった。

こう見えて、子どもの頃は堅実なタイプだった私は、読書感想文以外の宿題は7月中に終わらせる児童だったので、8月に入ると近所の図書館に自転車で通ったり、デパートぐらいの規模がある本屋さん(田舎なのでそれぐらい大きな規模の書店があった)へ父に車を出して貰ったりしながら、沢山本を読んだ。

 

我が家は父がとても読書家だったので、よく家のソファに腰掛けて難しい本を読んでいる様子を度々見掛けることがあった。私もそのソファに並んで座り、父が買ってくれた本を読んだ記憶がある。

父は、私の欲しがった本は全て自分の財布からお金を出して買ってくれた。漫画やゲームはお年玉やお小遣いを貯めて自分で買え、と豪語していたけれど、小説や図鑑、とにかく知識の蓄えになりそうな活字は惜しげも無くお金を出してくれた。だから、実家は今でも父のモノも含め本が山ほどあり、本棚も家のそこかしこに並べられている。

その甲斐もあり、学校の成績はトータルの順位でいうとビリから数えた方が早かったけれど、特段、対策の勉強をしなくても常に国語のテスト順位だけはトップにいる事が出来た。

そこに関しては全て父のおかげだ。

 

父は、基本的に放任主義だった。

私の普段の学校生活に関して干渉してくる事はまず無かったし、記憶の中で怒鳴られた覚えも全くない。(私を叱るのは常に母の役目だった)

何か相談事をしても、常に「やりたいようにやればいいよ」というような父だったので、相談のし甲斐は余りなかった。当時、私は「父は私にあまり興味が無いのかも知れない」と屈折した受け取り方をしたが、今となっては選択の自由と決定を小さな頃から与え続けてくれていたのだと思うようにもなった。

 

母から聞いた話だが、私が2.3歳の頃までは父は大手化粧品会社の海外支店の社長を任されるような立場だったらしくそれなりの収入や立場が約束された人だったらしい。

しかし、「留学生を海外に送り出すサポートがしたい」とその立場を呆気なく捨てた上で独立。小さな会社を立ち上げたという話を聞いた。結果的に経営は上手くいかず、数年も持たず存続は困難になり、今の戸建て不動産会社に再就職を決めたようだった。

それに反対せず連れ添った母も中々肝が座っているとは思うが、この話を聞いた時に初めて父のいう「やりたいようにやればいいよ」が腑に落ちた気がした。

父は選択を誤ってしまったかもしれないが、きっと後悔はしていないのだと思う。私も父の選択を咎める気持ちにはなれないし、それでこそ私の父だ、とも思う。

 

あまり自分の事を多くを語らない父だが、そういう父の精神を上手く受け継いで行けたらな、と思い直した。

今の私と父は限りなく掛け離れているけれど、いつか大事な選択をする場に直面した時、誤ってもいいから自分で決める事が出来たらいいな。

 

読書感想文で思い出した、父の話でした。