曖昧な匂い

 

 

今くらいの季節になると、やたらと金木犀の匂いに想いを馳せる人が現れる。

生憎私は金木犀に特に思入れもないし、金木犀のイメージに当てはめるような人物も周囲には居ないので金木犀に全く興味が無く、特徴的と言われる香りもよく分からずにいた。

昨年、夜の公園で友人が偶然金木犀の木を見つけて「いい匂いだね」と言うので、初めて(これが金木犀か)と意識して嗅いでみた。ぼんやりと、甘い匂いがしたことは覚えているけれど何だかどっちつかずの曖昧な匂いがして「そうかもね」と私も曖昧な返事をした。

好きでもないし嫌いでもない、やっぱり曖昧な感想しか出てこなかった。

ちなみに金木犀花言葉は「謙虚」や「気高い人」と言ったものがあるようだけど なんだか矛盾している気がしなくもないし、花言葉まで曖昧だった。

 

 

ふらっと目的も無く立ち寄った本屋で私が小説を買う時に心掛けていることがある。

 

①作者で選ばないこと

②書き出しが年号の小説は買わない

③読みたいと思った本はハードカバーでも迷わずに買う

自己啓発本は目に入れない

 

①は簡単、新しい作者に出会えなくなるから。本を読む事は私が唯一出来る勉強法だから、作者一人に固執するとその文体や常套句ばかりが目に入り、新しい言葉が学べないからだ。

②も簡単、どうでもいいから。

実際の事件や歴史が舞台となる小説にとって、時代背景は重要になってくる部分だと思うが、そもそもそういったジャンルは私の好みとはかけ離れているし、近代小説に年号は要らない。

二〇〇八年だろうが二〇〇九年だろうが、どうでもいい、もっと面白い書き出しをしろ、と思ってしまう。(個人の感想です)

③は、ハードカバーが文庫化される迄の時間を待つのが勿体ないという理由と それに加えて ハードカバーが文庫化されるという事はそれだけその本が売れたという事になり、自分が目をつけていた小説が爆売れした後にそれを手に取る行為が ミーハーっぽいから。

私は自分が買った小説が 書店のランキングに入ってたりするのを見かけた時の高揚感が好きだ。所謂古参ぶりたいのだ。誰に自慢する訳でもないけど、(私は話題になる前からその本知ってましたよ)と心の中で思っていたい。ただそれだけ。

④は、必要が無いから。

まだ、と付け加えるのが正しいかもしれない。 私は自分の今の好きなジャンルを開拓し尽くした訳では無いから、人の言ってることを素直にハイと受け入れられるだけの器がない。

何が正しくて何が間違っているのか、必要な情報を自己啓発本の中から摘出する作業が出来ないと思う。

今の自分には何処まで出来て、実践が出来て、でもこの人のこの部分は違うと思う、と自分の中で整理する器量が一切ない。

だから、現時点で読む必要が無いし、どんなに内容の良い自己啓発本を勧められても 自分の中に落とし込める気がしない。

 

本屋に通う間に勝手に出来た独自ルールだが、これがまた数年数十年と経って変化するのだろうなと思うと今から少し楽しみではある。