六畳人間から元・弊社へ哀を込めて。

 

 

水面に反射した光に、目を細めてしまう。ガラスを隔てているというのに、眼球が痛いほどに眩しい。視界の端に映る遊覧船がゆっくりと橋の下を通過したのが分かって「案外大きくないんだな」と頭の中で叫んで笑ってやった。

ふと足元に目をやると、薄汚れた白い安全靴の先端がえぐれているのに気が付く。きっとこの間の荷降ろしで、トラックのパワーゲートに挟んだ時に傷付けたものだ。そこまで高い靴では無いけれどお気に入りだったのに。この靴は元々真っ白で、「絶対に汚れるし、目立つよ」と忠告をされたのを押し切って買ったものだ。元々安全靴は、こういう職種の人間にとっては使い捨てのようなものなので、私と同じだなあと妙な親近感を抱いた。靴も私も今となっては薄汚れてボロボロだ。洗っても洗っても汚れは落ちない。

 

社会に出てからというもののそれこそAdo並に「うっせぇわ」の繰り返しで、そんな事で?と云うようなどうでもいい内容で迫害を受けたりした。理不尽は学生の時だけでなく、人生にずっと付き纏う事をこの時初めて理解した。

「いつまでも学生気分じゃ困る」と説教を垂れる割に、私が受けてきた嫌がらせは中学生レベルのものだったし。どっちが学生ですか?

 

失った信用を取り戻す事がどんなに大変かも分かった。必死こいて努力しても、過去の自分が上からの評価の邪魔をする。

たった一度の失敗が、ずっと私の作業着の裾を引っ張っていてズルズルと着いてくる。

重たかったし、いい加減に離して欲しかった。

勿論、私の頑張りを見てくれる人達は居た。

だから現場は辛かったけど、認めてくれる人達に囲まれている間は頑張れた。

どんなに裾を引っ張られても、私を信頼して背中を押してくれる人達がちゃんと居た。

 

それでも私が積み上げて来た5年間は殆ど意味の無いものだったと思う。私がやっとの思いで繋いできた人脈は事情があって今後は頼れない。会社でやってきたことも経験値として数値化するにはあまりにも心許ない。憧れていた華やかな業界。見ている世界や環境が狭過ぎた。

しかし、新しい世界に飛び込むつもりも、視野を広げるつもりも毛頭ない。元々、大きな鞄は苦手なのだ。いつも小さいポシェットを肩から掛けて出掛けている。大きな荷物を背負うだけの力量は私には無いし、背負いたくもない。

自分の生き易い方へ、流れるだけ。

 

逃げ、と捉えられても、まあ別にいい。

明確な目的地の無い船は漂流する、とよく言うけれど、目的があったって船は漂流する。

結局のところ、結果論だし「漂流」って。

 

希死念慮の材料をゴリゴリにすり鉢で擦る事が出来るなら、スタバの新作フラペチーノにでも混ぜて吸い込んでしまいたい。明日にはうんこにでもなって排出されてくれ。と、思いながら現場終わりに綺麗な服を着た女の子達が集うスターバックスを横目で眺める事も無くなるんだな。

小汚いヘルメットを抱えながら船を漕いでしまう始発電車にもきっと、もう乗らないだろうし、新品の靴下を一日で穴を開けるほど走り回る事も無くなる。

あんなに窮屈で毎朝おしくらまんじゅう状態だった女子更衣室も、今は私と主任の二人だけ。

来週には、私もこのカビ臭い更衣室を出ていく。

 

私が飛び込んだ社会は想像通りキラキラしたものではなかったけれど、体のあちこちにペンキを付着させながら壊れたラジオみたいに繰り返しザ☆ピ〜ス!を歌う文化祭前の前夜みたいな残業は少しだけ楽しかったな。

皆過労で、何処か情緒がおかしくて、木屑とパテの粉まみれで、帰れなくて、それでもやらなくちゃいけなくて。

面倒臭がりで頑張る事が苦手で嫌いな私が、極限を何度も体験出来たのは、ある意味良かったのかもしれない。

 

でも、この組織自体にお礼なんて言わない。

クソお世話になりましたなんてサンジみたいな土下座は絶対にしない。

モノ扱いされた事や暴言を吐かれた事、集中的にシフトで虐められた事、この5年で基本給が1円も上がらなかった事。心を病んでしまった事、死ぬ迄忘れないからな。

 

憎んだり恨んだりはしないけどね、疲れるから。覚えといてやるよ、ってだけ。

 

私を助けてくれた方々、本当に有難うございました。未熟だった私が、シュガーポットがポツポツ出てきたぐらいのバナナになれたのは皆様のおかげです。まだ食べ頃まではいきませんが、どうかこのまま腐っていかぬよう、これからも程々に頑張っていきたい所存です。熱くなると腐りも早くなりますからね。

 

退職者が続出で、てんやわんやしている元・職場の末路が楽しみ。マスクの下でほくそ笑んでいます。せいぜい労基に怯えながら頭と尻でも隠して頑張ってください。ハゲ二人はカツラでも被っとけ。

 

六畳人間より元・弊社へ、哀を込めて。